『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい』第5話 感想レビュー|「僕にもブイスリーやらせてよ」痛みの作法と、信じる覚悟のリハーサル

アニメ
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変身したい。
そう言って笑われるほどの年齢になったとき、人は初めて“ヒーロー”という言葉の重さを知る。
第5話「僕にもブイスリーやらせてよ」は、その笑われる痛みを抱いたまま戦おうとする男たちの物語だ。
笑って、殴られて、泣きそうになって、また笑う。
僕はこの回を観て、「生きるって、こんなに特撮っぽかったのか」と本気で思った。

あらすじ──蜘蛛男がやってきた、それでも止まらない

東島たちの前に、ついに“本物”が現れる。蜘蛛男。
怪人と名乗るにふさわしい威圧感。もう「ごっこ」では済まされない。
戦闘員たちは紙のように吹き飛び、空気が一気に現実になる。
それでも丹三郎は立ち上がる。
もう理屈ではない。
信じることしか、残っていない。

そしてその横で語られるV3とライダーマンの長尺トーク。
熱い。長い。止まらない。
もはや戦いの合間に「ヒーロー座談会」が始まるカオス。
でも、その語りのひとつひとつに、彼らの命がこもっている。
あれは笑いではなく、祈りなんだ。
僕は、途中から「頼む、もう少しだけ喋らせてやってくれ」と心の中で叫んでた。

ヒーローとは“ブイスリー”と“ライダーマン”の間にいる

完璧な強さ(V3)を夢見ながら、不完全なまま立ち上がる(ライダーマン)。
この第5話は、その間を彷徨う人間たちの話だ。
東島はまだ何者にもなれない。
けれど、それでも「なりたい」と言える。
その“なりたい”の熱が、世界を少しだけ照らす。
それって、ヒーローじゃないか?

僕は思う。
V3は“完璧な理想”の象徴。
一方ライダーマンは“未完成な信念”の象徴。
そしてこの物語にいるのは、どちらにもなれない“現実の僕たち”。
だからこそ、この回のタイトルが痛いほど刺さる。
「僕にもブイスリーやらせてよ」──あのセリフは、子どもの頃にしまった変身ベルトを、もう一度巻きたい大人たちの心の叫びなんだ。

笑いながら痛む。第5話が教える“ヒーローの作法”

この作品のすごいところは、痛みと笑いのバランスが狂気的に絶妙なこと。
蜘蛛男に吹き飛ばされる東島たちを見て笑うのに、
次の瞬間、なぜか胸が熱くなる。
人は笑いながら、希望に殴られることがあるらしい。
第5話はその実験だった。

たとえば三葉の熱弁。
正直、長い。途中で蜘蛛男も飽きてる。
でもあの「語らずにいられない」という衝動こそ、ヒーローの根っこなんだ。
信じるものを語ることは、痛みを肯定すること。
あの無駄な熱量にこそ、“生きてる証”が宿っていた。

僕は思わず笑った。でも、その笑いの奥で少し泣いてた。
「信じてることを話すのはダサい」と思ってた過去の自分が、
あの長台詞の中で赦された気がしたから。

蜘蛛男が突きつけたのは、“覚悟の温度差”だ

蜘蛛男はただの敵じゃない。
彼は、理想と現実の温度差を可視化する存在だ。
東島たちが夢中で語っている間も、彼は現実として殴りかかってくる。
つまり、理想の熱が冷める暇なんてない。
この構図、怖いほどリアルだ。
僕らも日々の生活で似たようなことをしてる。
夢を語るそばから、現実にパンチを食らう。
でも、立ち上がる。
それが、このアニメの真骨頂だ。

第5話の蜘蛛男は、言ってみれば“社会そのもの”。
そして丹三郎たちは、まだ何者にもなれない“信じたい人たち”。
この構図、泣けるほど現代的じゃないか。

僕が震えた三つの瞬間

  1. 蜘蛛男の初撃。
    一発で“空気が変わる”のが伝わる。あの重さ、あれは現実の重力。
    丹三郎が吹き飛ばされるたびに、僕の心の“諦め癖”も少しずつ削がれていった。
  2. V3とライダーマンの語り。
    正直、途中で「これドキュメンタリー?」と思った。
    でも、あのズレた熱が本物の信仰だ。
    信仰は説明じゃなく、執念で語るものなんだ。
  3. 「俺にもやらせてよ!」の絶叫。
    それはヒーローごっこではなく、“人生ごっこ”の拒絶宣言だった。
    その瞬間、僕の中でも何かがブイスリーッと変身した。(語彙力は置いていこう)

第5話を観て、僕がもう一度信じたこと

この回の東島たちは、まだ勝てていない。
でも、“勝てない戦いをやめない”という奇跡を起こしている。
それって、人生そのものじゃないか。
僕たちはみんな、どこかの蜘蛛男に殴られながら、
「もう少しだけ信じたい」って呟いてる。
その姿を、このアニメはありのまま描いてくれる。

だから僕は、第5話を“変身前夜”の最終章だと思っている。
東島たちはまだ何も得ていない。
でも、信じる方法を学んだ。
痛みを恐れず、笑いながら受け止める。
それが“変身”の最初のスイッチだ。
そして、僕たちもそれを押していいんだ。

まとめ:ヒーローは笑われながら立つ生き物だ

『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい』第5話は、
夢を見ることがどれほど痛く、そしてどれほど楽しいかを教えてくれた。
東島たちはまだ負けっぱなしだ。
でも、信じる限りは終わっていない。
彼らは変身の途中にいる。
そして僕もまた、変身の途中にいる。
(腰痛を抱えたままの“再変身”だけどね)

ヒーローとは、完璧な勝者じゃない。
笑われながら立つ生き物だ。
そう気づかせてくれた第5話に、僕は素直に「ありがとう」と言いたい。
そして小声で呟く。「僕にも、ブイスリーやらせてよ」と。

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